序 文

 歴史ノ大江ニ棹サシテ上流ニ逆ル事數萬年、人類ガ未ダ原人ノ域ヲ脱セザリシ大古ニ於テ、吾人ノ遠キ祖先ガ日常從事シタ手工ノ大部分ハ、石器製作ノ作業即チ原始的彫刻ノ夫レデ有ツタト、學者ハ吾人ニ教ヘタ。更ニ人智ガ進ンデ、各々自己ノ体驗ヲ他ニ知ラシメ、又子孫ニ傳フルベク、言葉ヲ保存スル方法ヲ考ヘタ。即チ文字ヲ作リ形ヲ畫イテ、之ヲ物ニ彫刻スル術ヲ知得シタ。此ノ發見ハ實ニ偉大ナル發見デ、吾人人類ガ原人ノ域ヲ離レテ、今日ノ文明ヲ成シタ最大源因[# ママ]デアルト云ハレテ居ル。
 版畫ニ關シテハ、吾人ハ多クノ知識ヲ[# 原本では「ラ」となっている]持タナイガ、想フニ此ノ原始的彫刻ノ發達シタモノデ、顯ハレタ※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」]録ハ僅ニ數百年前トアルガ、既ニ數千年數萬年以前ニ於テ、此ノ種ノ方法ハ必要ト趣味ノ兩方面ヨリ行ハレタコトハ明カデ、今日如何ナル人種、如何ナル地方ニ於テモ、彫刻美術ヲ持タザル無キノ事實ヲ見レバ、人類ト彫刻、彫刻ト版畫等ノ關係ハ、思ヒ半バニ過グルモノガ有ラウト考ヘラルヽ。
 我國ニ於ケル版畫ノ發達ハ、早クモ奈良朝、平安朝ノ昔ニ於テ既ニ進歩ノ曙光ガ認メラレ、徳川時代ニハ其ノ最全盛期ニ達シ、彼ノ木版畫トシテ浮世繪、錦繪ノ技術ニ至ツテハ、其ノ精巧華麗實ニ世界ニ冠絶シタモノデ有ツタ。
 今日高唱サルヽ創作版畫ハ、實ニコノ古來ノ精神、傳統ノ技ニ、現代人ノ構想、感情、手法ヲ織リ込マレタモノト謂ヘル。
 本縣師範學校教諭矢崎好幸君其ノ教子ト共ニ、此ノ創作版畫ヲ以テ郷土ノ全貌ヲ描キ、郷土ノ研究紹介ヲ兼ネ、其ノ進展ヲ計ランガタメ「郷土風景」ナル一書ヲ著シタ。詢ニ嶄新ナル趣向ト云フベク、此ノ種ノ出版ハ全國ニモ比類少ク、之ヲ通覽スルニ各種ノ版畫百餘員、夫々獨特ノ風致ヲ存シ、素朴ノ内ニ掬スベキ雅麗ヲ包有スル點、誠ニ趣味ト實益トヲ兼ネタ快著タルヲ失ハナイ。
 君ハ圖畫手工ノ教育者トシテ、非凡ノ天才ヲ有シ、先ニ卵殻ヲ利用シテ美術品ヲ作リ、其他カゼツクス、クレオン染等多クノ發明ヲ爲シ、常ニ前人未到ノ荊道ヲ拓クニ努メラルヽ人デアル。君ニシテ此ノ著アル宜ナリト云フベク、本書ニ依ツテ斯界ニ稗益スル所大ナルト共ニ、郷土紹介ノ功果[# ママ]モ亦鮮少ナラザル事ヲ確信シ、敢テ一言ヲ※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」]シテ序ト爲ス。
  昭和八年夏七月

甲府觀光協會長  
甲 府 市 長  
新海榮治


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