2 版畫の種類

版畫にもいろ/\の種類がある。版材から見ると木、石、金屬、硝子等があり、版面の構成樣式から見ると凸版、凹版、平版の三種がある。

 


第三圖

 第三圖の如く凸版は凸出してゐる部分にインキを附着せしめ、これに紙を置いて印刷するもので、凹版は凹部にインキを入れ、他面のインキは悉く拭ひ取り、凹部にあるインキを紙に寫しとる方法である。平版は面に凸凹なく、唯油と水との反撥作用を應用して、畫線又は文字の部分のみにインキが附着し、これを紙に印刷するものである。今是等に分屬する版の種類を擧ぐれば、
 一、凸版に屬するもの
木版
リノカツト
亞鉛凸版
網目版
三色版
活版
其他
 二、凹版に屬するもの 
エッチング[# 原本では「エッツチング」となっている]
ドライポイント
メゾチント
其他
 三、平版に屬するもの
石版
コロタイプ
オフセット
謄寫版
モノタイプ
其他
等となる。更に是等の版を製版の方法によつて分類すれば、
 一、機械的方法によるもの
木版、リノカツト、活版、ドライポイント、メゾチント、謄寫版等
 二、化學的方法によるもの
エッチング、石版、オフセット等
 三、寫眞應用によるもの
亞鉛凸版、網目版、三色版、グラビヤ版、コロタイプ版等
となる。創作版畫として帝展や各種の版畫展に出品されるものには木版畫、リノカット版畫、エッチング版畫、石版畫等いろ/\あるが、何といつても其の中核をなすものは木版畫である。隨つて本項については、項を改めて詳述することにし、以下主なる[# 原本では「重なる」となっている]版畫について作品を中心として大要を※[#「ごんべん+巳」、読みは「き」または「しる」]すことにする。


第四圖
 一、亞鉛凸版
第四圖は甲府市外大泉寺の總門を示したもので、版は亞鉛凸版である。本邦には稀に見る純南支那風の建築である。
十八世紀末に寫眞術が發明され、十九世紀に至つて(英人)フオツクスタルボツト氏、(墺人)プレツチユム氏、(佛人)ポアトワン氏等により寫眞を應用した製版法が考案された。原理としては亞鉛版の表面に、重クロム酸加里と膠の混合液を塗り、之を陰畫の下に置いて燒きつける。日光に曝らされた部分は水に不溶解性となり、その他の部分は水洗により金屬面が露出するから、稀硝酸液に浸して腐蝕させ原版を作るのである。この方法は本圖の如く原圖が線畫の場合、又は「景勝報國」の題字の如く文字を一樣の強さに表はす場合のみ適用され、油繪、水彩畫、天然寫眞等の如く半調色のぼかし模樣のあるものは製版することは出來ない。

第五圖
 二、網目版
第五圖は富士山麓精進パノラマ臺より白峰三山を望んだもので、手前に見ゆるがパノラマ臺、其の向ふに連らなるが南アルプスの連山で、右から地藏岳、辻山、北岳、間の岳、濃鳥岳、廣河内岳、[# 原本では改行されているため「、」がないので入れた]其の前山として甘利山、櫛形山、大唐松山等が見へる。最近南アルプス聯合山岳會が組織され、南アルプスの地域一帶[# 原本では「体」となっている]に亘つて山岳の保護及開發を圖り、且つこれが紹介宣傳に努むると共に登山に關する一般施設の改善發達を期することになつてゐる。男子のそれに對して、南アルプス女子山岳會も組織されんとしてゐる。兎に角年と共にアルピニストの北から南へと、移動して來たことは事實である。生理學的の實驗の結果によると、一呎の距離に於いて0.0104吋即ち1/96以下の點が、規則正しく排列されてゐると、點として認識することが出來ず面として感ずるといふ理論に基いて、半調色の原圖から寫眞をとる際に、七十五本乃至百五十本のスクリーンをかけ、畫面の濃淡を凡て點に分割し、その粗密によつてぼかしを現はさうとしたもので、ミユンヘンに於けるマイゼンバツハ氏が一八八二年發明したものである。版が淺く點が細かいのでアートペーパーでなければうまく印刷出來ない。


黄版

赤版

藍版

三色版
 三、三色版
色彩學の發達に伴ひあらゆる色彩は、赤、青、黄の三原色の混合によつて、作られることが明瞭となつた。この原理に立脚して種々の色彩を有する、原圖を瀘光器即ちフヰルターにかけて撮影し、黄、赤、藍三枚の種板から、三枚の網目板をそれぞれ作り黄版、赤版、藍版の順序に透明性のインキで印刷し、原物同樣の色感を現はす方法を三色版といひ、一八九〇年頃考案されたものである。挿繪の第一は黄版、第二は赤版、第三は藍版、第四は是等の三枚を順次重ねた原色版で、舞鶴城の裏手、甲府驛に通ずる道路の一部を染色クレオンによつて表現したもので、甲府市金手町島寫眞工藝社の製版印刷にかゝるものである。構内の赤煉瓦の倉庫、土堤の闊葉樹、その向ふに見える旅館等、クレオン染ならでは得られぬ獨自の境地が、そのまゝ版畫となつてゐる。この外色刷製版には人工三色版、オートクロム版等がある。

第十圖
 四、エツチング版
第十圖は現代チエツコスロバキヤに於ける版畫界の第一人者、テイ、エフ、シモン[# ママ]氏作のエツチング版畫で、プラーグの町と題するものである。エツチングは一寸見た所亞鉛凸版のやうに見えるが、版の樣式からいふと、凹版の一種で腐蝕液の作用により、描いた味を其儘刻む技法をいふのである。其の方法は十五世紀頃伊太利の錺工、フヰニグエラ氏の發明にかゝり銅、亞鉛等の金屬板をよく磨き、アスフアルト、マスチツク、蜜[# 原本では「密」となっている]蝋等を適當に調合して作つたものを表面に塗り、其の上に綱鐵製の針筆で描き、その部分を稀硝酸で腐蝕させて原版を作り、凹版用インキを擦り込み、糊氣の少ない紙に刷りとる。インキの盛り方や版の拭き方などの手加※[#「にすい+咸」、読みは「げん」]で、色々の感じの違つたものが作り出せる。
 この外凹版にはドライポイント、メゾチント等各種の方式が工夫せられ、印刷とは云ふものゝ、全く描くと同じ樣の態度であるから、肉筆同樣に珍重されてゐる。又寫眞應用の凹版には、チエツコスロバキアのカールクリツシユ氏發明のグラビア版がある。凸版に比べて版が崩れず、インキが盛り上つて肉をもち、印刷に雅味深いものがあるから、主として美術印刷に應用されてゐる。
 五、石版
一七九九年獨人セネフエ[# 原本では「ヱ」となっている]ルダー氏は、大理石と油との間に著しき親和力のあること、及び特殊に處理された大理石の面には、水を受けつける部分と、水を反撥して油質のインキのみ受けつける部分とが生じ、假令版の表面に凹凸の差がなくとも、立派に印刷の出來る事を發見し、其後引續き磨き石版、砂目石版、轉寫石版、黒白反對畫法、白拔法、左右反對畫法等遂に現代に於ける石版印刷術の一切を考案完成した。次葉挿入のレツテルは石版の五度刷で輪廓には金刷が應用してある。金刷や銀刷には、金銀色インキを用ひる場合と、他の任意の色で印刷し、そのインキが乾かぬうちに、金銀粉を振り播く方法とある。近頃は石版石の代りに亞鉛板、アルミ板等が用ひられ、其の形も圓筒形に製版せられ、輪轉機で迅速に印刷されるに至つた。
 六、コロタイプ版
一八五四年佛國化學者ポアテパン氏の發明にかゝり、普通玻璃版又は硝子版と呼んでゐるが、正しくはホト・ゼラチンプロセスと稱すべきもので、其後獨乙の寫眞師ヨセフ・アルバート氏が完成した。其の原理は重クロム酸鹽を加へたゼラチンが、光に感じ性質を變化することを利用して製版したもので、光の分量によつてゼラチン膜の收縮膨張の度合が異なつて、コロタイプ版が作られる。ネガチーブの感光膜を剥し反轉して燒きつけないと、印刷後右向きは左向きとなる。印刷の要領は石版と同樣に、水と油との反撥作用を利用して刷り上げるのであるが、版の成立から見ると一種の凹版であり、原圖に最も忠實なる印刷の得られるのが特徴である。次の挿繪は作者のグループを示したもので、製版から印刷まで、全部作者の手で刷り上げたものである。
 尚最近はHB版、オグデン版、バントーン版など稱して、寫眞應用の平版畫も長足に進歩し、精巧な版畫も盛に作られてゐる。

第四列
佐藤時丸 大場芳男 原田義勝 古屋保吉 齋藤克已 的場信輝 瀧澤忠三 深澤榮助
第三列
中村敬治 花形榮 池谷芳平 村松晴時 松下常造 古谷茂男 海野豐 小林美知 宮澤朝雄
第二列
立川武男 内田重信 小泉松太郎 篠原正三 矢崎好幸 角田宏 尾澤恒 標輔三 倉田吾朗
第一列
白砂三郎 雨宮嘉吉 保坂勝三 佐野武 渡邊正道 酒井桂次 橘田正光

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