9 聯隊所見
日露戰役中、樺太出征軍の一部に屬してゐた四十九聯隊は、明治四十二年四月甲府市外相川村に設置された。兵營は相川扇状地の前面湯村山々下に位し、衞戍病院、甲府聯隊區司令部も隣してゐる。 相川を隔てゝ聯兵場があり、射撃場は其の西湯村山に向つて長蛇の如く延びてゐる。 甲相二千の健兒は、意氣衝天の勢を以つて、日夕軍人精神の体得と武技の鍛練に精進してゐる。いかめしい營門も時折風呂敷包を襟卷にしたお爺さんや、淡色の衣裳に身をまとつた妹さん達の來訪によつて靜寂が破れる。
(大場芳男)[# 原本では「大塲」となっているが御本人は「大場」を使われていた]