44 躑躅ヶ崎と貯水池
永正十六年武田信虎公の築造にかゝる城趾で、東の山の岬を利用し、三萬坪の貯水池を作り、上府中一帶の灌漑水に使つてゐる。三十數隻のボートと屋臺船が浮べられ、朗かに若人の來遊を待つてゐる。 版畫に見る如く剩水はかゝつて白瀧となる。この北方四粁、相川の上流に大機山公の誕生地要害山あり、甲府盆地を俯瞰し、遠く富嶽を望み、[# 原本では「。」となっている]眺望絶佳、またその山麓には要害、養曾の兩温泉ありて浴客は常に絶えない。
(雨宮嘉吉)