桑原浜子先生は、敗戦40年前後から再びこの国の平和が脅かされるかもしれないという危惧の念を抱き始められました。そして1985年8月、意を同じくする御主人様・橘田健司様と共に「山梨平和を語る会」を設立されました。個人の自由意志で参加する市民運動の形が取られ、第1回から今日まで代表世話人を務められています。この会は毎年8月、敗戦記念日の次の日曜日に開かれ、反戦・平和を願う市民達の学びの場、交流の場となっています。
これと平行して、先生は日本の戦争犯罪についても考えて来られました。1992年には、映画「アリランの歌─沖縄からの証言」の上映を平和記念事業としてバックアップされました。また1997年11月、「アリラン慰霊のモニュメントをつくる会」代表として沖縄県渡嘉敷村にモニュメントを建立し、戦争で犠牲になった朝鮮・韓国の従軍慰安婦を悼みました。現在もその維持に尽力しておられます。
先生は2004年の「桑原浜子・安藤彩子 二人展」に寄せた文章に次のように書いておられます。
私は1912年(大正元年)生まれです。戦前、戦中、戦後をつぶさに見、戦争がいかに人を不幸にし、美しいものを壊し、自然を壊し、さらには人間を悪魔にかえてしまうものであるかを知りました。
私は自然を愛しています。美しいものへの憧れなしには生きていくことはできません。そのためにはどんなに平和が大切か、身にしみております。一生懸命、反戦運動にも参加してきました。にもかかわらず昨年、自衛隊がイラクへ派兵されてしまいました。残念でなりません。
私にとって自然を描くことと平和を願うことは、分かちがたいものです。これからも、微力ではありますが「卵殻モザイクと反戦」という、ひとすじの道を歩んでまいりたく思います。よろしくおつきあいのほど、お願いします。
「自然こそ、命の輝きこそ創作の原点」とおっしゃる桑原先生の平和活動を紹介しました。
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